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第07回「武闘と舞踏の関係」その1

 ヨーロッパのおとぎ話の姫君と王子様が踊ったような「舞踊」などを研究しているような男は、余程の暇人か変人、または特別な趣味の持ち主ではあるまいか、との誤解を抱かれる方がおられると困るので、今回は音楽と舞踏について、従来とは視角を変えて考えてみたい。


 “music”を「音楽」と訳したばかりに、原語が備えていた哲学的、科学的な意味合いや歴史的な深みを失って、一般には遊興、娯楽の側面ばかりでとらえられることになった。
また、そのことが古楽が理解されることの妨げのひとつの要因にもなっており、生まれも素姓も雑多な「音楽」をその内容からだけではなく、単に洋の東西、時代の差だけに違いを求め、同一の水準で単純に比較して去々するような風潮をも招いているようである。

 “dance”についても、訳語として「舞踊」を当てるだりでは、原語の持っている内容が伝わらず、訳語との落差が誤解を生む結果となっているように見受けられる。
「舞踊」の語の持つ、なよやかな、女性的に片寄るニュアンスのせいもあるが、“dance”の方が「舞踊」より広い意味を持ち、歴史的に近代に至るまで、社会的、攻治的な役剖をより積極的に担ってきたものである点を押さえておく必要がある。

 “dance”は舞踊を含め、音に合わせて身体を動がすことを総称するようである。
「舞踊」のイメージから程遠い行進などの音楽を伴う軍事的集団行動も、古い書物などではdanceとして解説が加えられている。
ここでは、その訳語を「舞踏」を以って当てているが、これを機会にこの訳語についても一言述べておきたい。

日本の前衛舞踏集団の固有名として、海外では定着している「ブトー」を考えにいれなくても、「舞踊」でなく「舞踏」を使うことに、抵抗感を持たれる方が結構おられるようである。
それぞれの理由があると思われるが、私は、カパーできる意味の広さという理由の他に、ステップという足を踏み出すdanceの特徴を示せる点がらも、「舞踏」が良いと思っている。
「舞踏会」は洋式の踊りの会にしか使われないから、すでに[舞踏」とdanceとの関わりが定着しているとも言える。
さらに余談ながら、舞踏会といえぱ鹿鳴館とくる。しかし、この舞踏会は当時のある種の人達の軽侮の対象であったことを思い出したい。
その人々とは、未熟な猿まねを笑った一部の外国人ではなく、その反対の意味で見下していた人達のことであり、明治推新で田舎者の下級武士や成り上がり商人達に天下を取られ、没落した旧支配階級の士族、老舗の旦那、または芸事の師匠達のことである。
都会で特殊に洗練された「舞踊」も含む伝統文化を身につけた通人という誇りしか残されなかった彼らは、令夫人といっても、祇園や新橋の芸妓上がりや、囲舎娘がそのまま欧風化したような女主人が主催し、つま先立って歩く、足軽、中間、小者のような動作が求められる舞踏の会を心よく思っていなかったようである。
高貴な歩き方は摺足に決まっていて、踏むのは下賎であったのである。
舞踏に関わる微妙な受け取り方は、今なおこの辺の事情が作用しているのであろうが。

 日本の舞踊にも剣舞もあれば黒田節もあるが、舞踊でいつも軍事訓練をしていたわけでなないし、踊りのお師匠さんが剣術の指南をする必要もなかったし、道場で舞踊を教えたのでもながった。
しかし、ヨーロッパの貴族社会、例えばフランスでは、バロック舞踏の教師が剣術と乗馬を教えていたのである。
図1はその道場である。バロック舞踏の動作はフェンシングや乗馬と共通したものがあるという指描も的外れではないのである。
貴族、騎士階級に限らないで、兵卒達の動きを見ても舞踏との関わりは深い。西欧の音楽にしろ舞踏にしろ、その西欧的特徴というものについて輿味を抱く人は少なくないと思われるが、歩兵の戦聞法を見てみると、まさに音楽と舞踏で西欧的と感じられた特徴がそのまま軍事技術とも関連し合っているのがよくわがる。
この西欧的な面が非西欧的なものとはっきり対比できるのは、文字適り両者の対陣においてである。
有名なのは、ペルシャの大軍を迎え撃ったマラトンのアテネ軍とアジアに遠征したマケドニアのアレクサンドロスの軍勢である。ギリシア軍の伝統的な戦法は、方陣に拠る徹底した集団行動である。方陣とは、兵士が横と縦に隊伍を組み、方形に密集して敵に向かう陣形である。
兵士は槍と盾を持って整列する。最前列の動きを見ると、城壁のように盾が横に並んだ間から出た槍の列が迫って敵を殲滅させる形となる。前列の兵士が倒れたら、すぐ後ろの兵士が前に出て補充し、壁は破綻をきたさないが、文字通り味方の屍を踏み越えて戦うことになる。(図2)

アレキサンドロスはこれを重装密集化して防御力を高めた上、騎兵を配して方陣の側面を守り、機勤力を増した合理性によってインドに至るまで無敵を誇った。
この基本戦法はローマ軍によって更に洗練され、アルプス以北にも広がった。
アルボーが「オルケゾグラフィー一(1588)の最初で言及しているのは、この集団の戦闘法、武闘の舞踏についてである。


集団の統一のとれた運動と団結力を期するには、歩調を揃えなければならないが、足並みを揃えるリズムを指令するのが太鼓などの打楽器で、旋律を付け士気を盛り上げたのが笛類であった。
軍団の隊長に旗手のほか鼓手と吹手が配されており、この隊長付きめ楽隊が兵士たちを奮い立たせ、整然と死地に赴かせたのである。
《キャプテン・デゴリーの鈷吹きのガイヤルド》という曲はよく知られているが、この笛吹きも、軍団の行進、戦闘、凱旋での勤め他、舞踏会では伴妻を行なったはずである。
ルネサンス舞曲では太殻を用いるが、太鼓そのものも、その使い方も軍事技術として発違したものの平和利用と言えるだろう。
舞踏の特徴である拍とステップの整合性、右足左足のリズムと固定的関係は、方陣の行動では特に必要な要素である。
リズムに単純な規則性がないと足並みを合わせられないし、志気が上がらない。密集の状態で足の左右が描わないと、隣の兵士と肩や盾がぷつかりあうし、全面の敵に隙を作ることになる。

 フレーズの始まりが左足と決まっていたが、これは同時代の舞踏の踊り方と同じである。
1拍目が左足であるのは、槍を右手に持つがらである。



 この突撃のステップは、左足で大きく踏み込んだ後、右足をその後ろに付ける形になる。
したがって、盾のある左肩が前に出て防御しやすく、槍を繰り出して攻撃しやすい姿勢を維持できる。
このリズムの太鼓はdedans(突込めの意がある)と鳴るが、実際のリズムは(図5)に近いのではないだろうか。
兵士たちは跳びはねながら、踊りながら突進し、命がけの舞踏を展開するのであるが、方陣と方陣とが衝突する場合は、勇敢で団結力の強い方が生き残る。
士気を鼓吹し、整然と兵士を進め、勝利を味方に確信させるのは、隊長の力量にかかるが、その力量には楽隊の用い方、日頃の訓練法も含まれる。
指揮官はよい指揮者であり、よい舞踏教師でなけれぱならなかったのである。
つづく


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このコラムは古楽情報誌“Entree”1987年5月号から1994年5月号に記載された記事を著者古山和男氏の承諾のもと掲載しております。
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